いせたくやと聞くと誰なのか疑問に思うでしょう。
いせたくやとは作曲家いずみたくさんをモデルにした人物です。
2025年3月31日から始まるNHK朝の連続テレビドラマ小説「あんぱん」に登場します。
人気バンドMrs.GREEN APPLEのボーカル大森元貴さんが演じることでも話題になっています。
いずみたくさんはアンパンマンや手のひらを太陽になど誰もが知る名曲を数多く残しています。
この記事ではいずみたくさんについて次の項目に沿ってお伝えします。
- いせたくやこといずみたくとはどんな人?
- アンパンマンと手のひらを太陽に作曲秘話
- いずみたくのその他の活動について
それでは、ご覧ください。
いせたくやこといずみたくとはどんな人?
いずみたくさんはどんな人物であったか。
どのような生涯を送り、どのように終えたのか。
また、息子や孫など親族についても調べてみました。
いずみたくのプロフィールと略歴
始めに、いずみたくの簡単なプロフィールについてお伝えします。
- 本名 今泉隆雄(いまいずみたかお)
- 生年月日 1930年1月20日(東京都生まれ)
- 没年月日 1992年5月11日(62歳)
- 職業 作曲家、政治家、プロデューサー
政治家もされていたのですね!
いずみたくさんは若いころ舞台芸術学院で演劇を学びました。
その後作曲活動を始め、三木鶏郎門下生となりました。
三木鶏郎さんは作詞、作曲、放送作家など多岐にわたって活躍されており、たくさんのCMソングを手掛けたことで有名な方です。
作曲家いずみたくとしては、1955年に朝日放送ホームソングコンクール・グランプリを受賞しから始まり、CMソングや多くのヒット曲を作り続けました。
1969年には佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」で日本レコード大賞を受賞しました。
生涯で15,000曲以上を作曲したと言われています。
プロデューサーいずみたくとしては、1963年に「オールスタッフ・プロダクション」を設立し、多くの才能ある作家やタレントを育成しました。
オールスタッフ・プロダクションにはいしだあゆみさんや、ピンキーとキラーズも所属していました。
政治家いずみたくは、1989年7月19日に参議院議員に繰り上げ当選して政界に進出しました。
日本が経済大国であるにもかかわらず、文化・芸術関連への予算配分が少ないことを問題視し、文教関係予算の増額に尽力しました。
同時に音楽を通じた平和活動も行っていました。
1992年5月11日に病死したため、在任期間は3年にも満たない短期間となりました。
いずみたくの死因について
いずみたくさんの死因は肝不全でした。
プロフィールでご紹介したとおり、1992年5月11日に62歳で亡くなりました。
いずみたくさんは、晩年、体調を崩していましたが、最後まで音楽活動を続けていたそうです。
死後、1992年5月20日に参議院本会議で、後に環境大臣を務めた大木浩氏により哀悼演説が行われました。
いずみたくの息子と孫について
いずみたくさんの息子はいますが一般人のため詳細は公にされていません。
いずみたくさんの孫はシンガーソングライターのラブリーサマーちゃんです。
ラブリーサマーちゃんの父がいずみたくさんの息子となります。
いずみたくさんの息子は教育熱心だったとされ、ラブリーサマーちゃんの幼少期に剣道や新体操、水泳など複数の習い事を経験させています。
ラブリーサマーちゃん(本名:今泉愛夏、いまいずみ あいか)は、1995年7月29日生まれの日本の女性シンガーソングライターです。東京都出身で、愛称は「ラブサマちゃん」など。音楽活動においては「可愛くてかっこいいピチピチロックギャル」をキャッチコピーに掲げています。
2013年、中学3年生の夏にアコースティックギターを始め、高校進学後は軽音部に所属。2013年夏、自宅での宅録を開始し、SoundCloudに音源をアップロードして知名度を高めました。
バンド活動を経て2016年にSPEEDSTAR RECORDSからアルバム「LSC」でメジャーデビューを果たしました。
2020年3月に日本大学芸術学部を卒業し、同年、日本コロムビアへ移籍しました。
ラブリーサマーちゃんの曲は、ポップでキャッチーなサウンドとチャーミングな歌声が特徴です。
若い世代を中心に支持されているアーティストです。
ラブリーサマーちゃんのプロフィール画像はこちらです。
引用元:ラブリーサマーちゃんオフィシャルサイト
雰囲気がイメージできたでしょうか?
アンパンマンと手のひらを太陽に誕生秘話
アンパンマンの曲と手のひらを太陽にはどのようにして生まれたのでしょうか?
作曲することになったきっかけや曲が出来上がるまでのいきさつなどお伝えしていきます。
アンパンマンはこうして生まれた
アンパンマンはいずみたくさんがアンパンミュージカルをプロデュースしていたことをきっかけに生まれました。
いずみたくさんが、アンパンマンの楽曲を作ることになったのも自然な流れであったといえます。
また、アンパンマンの原作者であるやなせたかしさんは、以前から「手のひらを太陽に」などの楽曲で協力関係にありましたので、長年の信頼関係が起用の背景にあると推測されます。
そして、いずみたくさんは、多くの子供向け楽曲や童謡を手がけた実績があったので、アンパンマンの世界観に合った音楽を作る能力があると評価されたのでしょう。
いずみたくさんが作曲されたアンパンマンの楽曲はたくさんありますが、有名な曲をいくつかご紹介します。
- アンパンマンのマーチ: シリーズを代表する楽曲の一つです。
- アンパンマンのうた: アニメの主題歌として知られています。
- すすめ!アンパンマン号:アニメ「それいけ!アンパンマン」の挿入歌として使用されました。
- てんどんまん自慢歌: キャラクターソングの一つで、坂本千夏が歌っています。
多くの人が耳にしたことのある曲ばかりかと思います。
アンパンマンの楽曲制作は、いずみたくさんの晩年の重要な仕事となっていました。
特に「すすめ!アンパンマン号」は、いずみたくさんの病状が悪化していたにもかかわらず、強い意志で引き受け、病床で妻に口述筆記させてまでして、最後まで曲作りに取り組んだ遺作となりました。
いずみたくさんが亡くなったのは、この曲の編曲作業が終了し、録音に入る直前だったとのことです。
手のひらを太陽にはこうして生まれた
「手のひらを太陽に」はやなせたかしさんが知人であるいずみたくさんに作曲を依頼して生まれました。
「手のひらを太陽に」は、1961年に制作されました。
作詞者のやなせたかしさんが、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の朝のニュースショーで構成を担当していた際、「今月の歌」として作詞しました。
やなせたかしさんが、夜中に仕事をしている際、電気スタンドで手を温めたとき、指の間が赤く透けて見えたことからインスピレーションを得て、子供時代に懐中電灯で手を照らした記憶も蘇り、「血が元気に流れている」という生命力への感動が歌詞の基盤となりました。
当初ホームソングとして制作したようですが、現在は童謡として浸透しています。
いずみたくさんにより親しみやすいメロディーが載せられ、命賛歌とも言える作品に仕上がりました。
1962年にNHK「みんなのうた」で放送されたことをきっかけに広く知られるようになりました。
「手のひらを太陽に」は日本を代表する童謡として広まり、多くの世代に愛され続けており、東日本大震災など困難な時期にも復興支援ソングとして使用されるなど、絶望の中にも希望があるという人生観が反映された普遍的なメッセージ性を持つ楽曲として評価されています。
やなせたかしといずみたくという二人の才能が融合して、すばらしい作品が誕生したのですね。
いずみたくのその他の活動について
いずみたくさんの制作した楽曲についてご紹介していますが、ミュージカルや校歌も手掛けられていますので、お伝えしたいと思います。
いずみたくさんは1977年にミュージカルを専門に上演する劇団「イッツフォーリーズ」を創立しました。
子ども、児童・青少年・学校向け、一般と幅広い年齢層に向けたミュージカルを全国で公演しています。
現在約50名のメンバーが所属し、ミュージカル公演以外にも外部作品の舞台やテレビ、CM、イベントなどで活動されています。
また、いずみたくさんは多くの校歌を作られていることもわかりました。
いずみたくさんが作った校歌が歌われている学校は次のようなところです。
- 江戸川区立篠崎第四小学校(東京都)
- 八王子市立四谷中学校(東京都)
- 武蔵野市立関前南小学校(東京都)
- 久我山中学校(東京都)
- 釜山日本人学校(韓国)
どのようなメロディーか興味深いですね。
校歌をいずみたくさんが作られた学校はとても誇らしい気持ちではないでしょうか。
いずみたくさんは、このように多岐にわたって、音楽に関わる活動に惜しみなく労力を費やして来られたといえるでしょう。
まとめ
いせたくやこといずみたくさんについてお伝えしてきました。
いせたくやは作曲家いずみたくさんをモデルにした人物であることを説明しました。
2025年3月31日から始まるNHK朝の連続テレビドラマ小説「あんぱん」に登場することで話題になっていますね。
いずみたくさんのプロフィールや死因などについてもご紹介しました。
いずみたくさんは、作曲家、政治家、プロデューサーとして幅広く音楽に貢献してこられました。
肝不全で62歳の生涯を閉じられました。
いずみたくさんの息子は一般の方ですので公になっていませんが、孫はラブリーサマーちゃんというシンガーソングライターとして活動していることがわかりました。
いずみたくさんがアンパンマンの楽曲を制作したのはアンパンマンミュージカルをプロデュースしていたからでした。
「アンパンマンのマーチ」や遺作となった「すすめ!アンパンマン号」など数多くの楽曲を制作されていました。
いずいたくさんが「手のひらを太陽に」を制作したのは、作詞をしたやなせたかしさんに依頼されたからということでした。
二人の才能が融合した素晴らしい作品となったわけです。
いずみたくさんは劇団「イッツフォーリーズ」を創立され、本人亡き今も変わらず人々を楽しませるミュージカルを公演しています。
いずみたくさんによる校歌は数多くあり、子どもたちのために尽力してきた様子が伝わります。
音楽界に多大な貢献をしてこられたいずみたくさん。
ドラマに登場する「いせたくや」に注目して、改めていずみたくさんの活動してきた様子を映像として楽しみたいですね。
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